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スピリチュアリズムとキリスト教と仏教の比較

日本は無宗教の国ですので、キリスト教や仏教と言っても具体的にどのような教えがあるのかを理解している人は少ないのではないかと思いますし、宗教戦争やテロ、カルト宗教のなどの問題から偏見を抱いている人も少なくないのではないでしょうか。

しかし、そのような問題が生じているにも関わらず、これだけ長い期間にわたって多くの信仰者がいることを考慮すると、やはり素晴らしい教えがあると考えられるのではないかと思います。

シルバーバーチの霊訓には宗教に関して以下のように説かれています。

「私たちにとってスピリチュアリズムというのは宇宙の自然法則そのものなのです。これを体系化して幾つかの信仰箇条とすべき性質の教えではありません。キリスト教とて当初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし仏教もそうです。そのほか地上に誕生した宗教のすべてが最初はそうでした。それぞれの教祖が霊覚でもってその時代の民衆の成長、発展、進化、慣習、鍛錬、理解力等の程度にふさわしいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。・・・ところが残念なことに、そのささやかな真理が埋もれてしまいました。・・・まわりに世俗的信仰、神学的概念、宗教的慣習、伝承的習俗などが付加されて、玉石混交の状態となってしまいました。」
(シルバーバーチの霊訓(五)p56)

そこで、シルバーバーチの霊訓にある教えとキリスト教と仏教で説かれた教えを比較し、共通点と相違点のいくつかを挙げてみたいと思います。

※ スピリチュアリズムの思想に関しては、最も信頼性の高い霊界通信であるとされるシルバーバーチの霊訓から、キリスト教に関しては聖書から、仏教に関しては釈迦の教えに最も近いとされている原始仏教経典から抜粋します。

共通点

博愛主義(全ての人を平等に愛すべきという思想)

「地上世界を国別、民族別に考えてはなりません。すべてが大霊の一部であることを教えないといけません。みんな大霊の子なのです。海で隔てられていても大霊の前では兄弟であり姉妹なのです。私たちの教えは単純です。しかし真実です。」
(シルバーバーチの霊訓(十一)p185)
「愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。」
(シルバーバーチの霊訓(一)p146)
「隣人を自分のように愛しなさい。」
(イエス:マタイ22-39)
「あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。」
(釈迦:スッタニパータ149)

因果律

「発生した原因は数学的・機械的正確さをもって結果を生み出します。」
(シルバーバーチの霊訓(二)p208)
「地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取りもどします。」
(シルバーバーチの霊訓(一)p58)
「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」
(パウロ:ガラテヤ6-7〜9)
「悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦難のところ(地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。」
(釈迦:ダンマパダ17)
「善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。」
(釈迦:ダンマパダ18)

自己責任

「あなた自身の責任を他人の肩に背負わせる方法はありませんし、他人の責任があなたの肩に背負わされることも有り得ません。そうであってはじめて正直であり、道徳的であり、倫理的であり、公正であると言えます。」
(シルバーバーチの霊訓(六)p59)
「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」
(パウロ:ガラテヤ6-7〜9)
「みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄(きよ)まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。」
(釈迦:ダンマパダ165)

思い・言葉・行動に責任がある

「あなたには自分のすること、自分の言うこと、自分の考えることに責任があります。」
(シルバーバーチの霊訓(六)p58)
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は「殺すな。人を殺した者は裁きを受ける」と命じられている。しかしわたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に「ばか」と言う者は、最高法院に引き渡され、「愚か者」と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」
(イエス:マタイ5-21〜22)
「ことばを慎しみ、心を落ち着けて慎しみ、身に悪をなしてはならない。これらの三つの行いの路を浄くたもつならば、仙人(=仏)の説きたもうた道を克ち得るであろう。」
(釈迦:ダンマパダ165)

奉仕(徳積み・人の役に立つこと)

「私が説いているのは人のためにという福音です。人のために惜しみなく自分を役立てなさいと言っているのです。そうするとあなたがこの世に存在したことによって世の中が豊かになるわけです。簡単なことなのです。
(シルバーバーチの霊訓(七)p87)
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
(イエス:マタイ7-12)
「うず高い花を集めて多くの花かざりをつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。」
(釈迦:ダンマパダ53)

<解説>

このようにシルバーバーチ霊が1920年から1981年の間に説いた教えと、イエスが約2000年前に説いた教え、釈迦が約2500年前に説いた教えが多くの点で一致していることが分かります。

盲信することなくこれらの思想を日常生活にいかしていくことによって、より幸福な世の中に変えていけるのではないかと思います。

相違点

宗教には「信じれば救われる。」「○○と唱えれば救われる。」「うちの団体に入信すれば救われる。」「これを買えば救われる。」といった教えを説くことでお金儲けに利用したり、マインド・コントロールに掛けたりすることで、人を不幸にしている団体もありますし、悪意はなくとも盲信することで多くの不幸が生まれているのも事実ですので、そのような不幸を繰り返さないためにも宗教に関する教えをいくつか挙げておきます。

「ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い、選ばれし者の一人になったと信じている人よりも、唯物論者とか無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケースがいくらでもあります。問題は何を信じるかではなく、これまで何をなしてきたかです。そうでないと神の公正が根本から崩れます。」
(シルバーバーチの霊訓(一)p171)
「御利益信心は利己的な要求ですから、これを祈りと呼ぶわけにはいきません。ああしてほしい、こうしてほしい、カネがほしい、家がほしい、こうした物的欲望には、霊界の神霊はまるで関心がありません。そんな要求を聞いてあげても、当人の霊性の開発、精神的成長にとってなんのプラスにもならないからです。」
(シルバーバーチの霊訓(一)p169)
「決まり文句のただの繰り返しでは空気に振動を起こすだけです。」
(シルバーバーチは語るp132)
「何度も申し上げていることですが、人のために役立つことをすることは気高いことです。同胞のために尽くすことによって、共通の親である大霊の役に立つということほど気高い貢献はありません。これに勝る宗教はありません。形式を守り義務に盲従するというだけの宗教では何の価値もありません。真の宗教とはみずから世に出て、少しでも住み良い環境にするような行為を心掛けることです。」
(シルバーバーチの霊訓(十一)p101)
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